長谷川恭久さんの履歴書とWebのオープン性、コミュニケーション(後編)
■仕事のスタイル
自身で出版したことをきっかけに講演やセミナーの仕事にも携わるようになり、2008年ころにはいまのスタイルに近いコンサルもやるように。基本的には、直で仕事をうけ、チームにはいっていくというスタイルがほとんどといいます。
「もともと、なんでこのサイトをつくるのだっけ?という「なんで」を考えるタイプだったので、制作からコンサルへ幅が広がっていったのは自然な流れ」だったそうです。
クライアントや携わった仕事も聞ける範囲でお伺いしましたところ、クライアント名には中小企業からと名だたる大手企業まで多数あがります。
「新聞社と付き合いたいと思ってブログを意図的に書いていたこともある。そうすると、実際に仕事は来た。一方で、情報発信を続けていかないと仕事が続かないという危機感がある」とヤスヒサさん。
「自分に話が来るときには、いわゆる一般的な施策はもうA/Bテストから分析からさんざんやり尽くしているケースも多い」といいます。
そこからのアプローチは、自身の知識、経験、考え方をビジネス領域、インターネット領域、心理的なところを柔軟に組み合わせて、課題発見からプロトタイプまでをスピーディーにやるというなかなかヤスヒサさんならではの進め方でした。
属人性は高くなりますが、なかなか真似ができるものではなさそうです。聞いていくと、そこはやはりお家芸的なところがあるようで、ひとにやり方を教えることができないので、フリーでやっているという側面もあるようです。(ここはいろいろと試行錯誤もしているとのことです)
こういった本質をつくスタイルでやっているので、いわゆる代理店さんとはあわないことも多いそう(笑)。
誤解がないようにですが、代理店さんにもものすごく優秀な人はいるし、否定的な話ではなくスタイルの問題、という話がありました(笑)。
■Webの未来にはじつはすこし悲観的?gamergateからみるコミュニケーション
ひととおり履歴書的なはなしも伺って、話はWebの未来やオープン性、コミュニケーションについてへ。
いまWebはLINEなど独自規格、検閲可能といった閉じた方向にいっていて、未来にはすこし悲観的とのこと。
オープン性をきっかけにコミュニケーションへ話は広がります。
ここで昨年ネット界隈で盛り上がったgamergate議論(gamergate議論については当日取り上げたものではないですが参考サイトはここでズレはないと思います。後日、ヤスヒサさんからこちらも参考サイトとして教えてもらいました)を例に、今のインターネット上でのコミュニケーションについて説明してくれました。
これは#gamergateというハッシュタグを使いながら、ゲームやゲームメディアの在り方、文化の多様性について議論が行われたネット、おもにTwitter上で生まれた議論です。具体的にはリンクをご覧いただくとして、ここでヤスヒサさんはおもしろかった点として「賛成・反対それぞれの意見がほとんど混ざらなかった」ことを挙げました。
どういうことかというと、TwitterでありがちなリプライやRTを用いた意見の応酬はあまり見られず、賛成の人たちは賛成の和の中で、反対の人は反対の和の中で意思表明をするだけで、自分と違う価値観に対して、それほど過剰に反応しない動きが見えたとのことです。
まだまだ話が盛り上がっていきそうだったのですが、惜しくもここで時間切れでした。後半とくに、こういった答えがない話を議論出来る場は楽しい、といっていただけたのはうれしいです(笑)
■note
ヤスヒサさんとは今まで先のWebSig1日学校など、特定のテーマでお話をしてきたのですが、バックグラウンドを聞けて個人的にすごく親近感がわきました。
考えるアプローチをなんで?というところを起点にしているということは、いままでも感じてきていたところだったんですが、アメリカで感じたことや仕事のポイントなど、アプローチは違うものの、結果的に似たポイントが多かったです。
履歴書ってひとの歴史で、そのときに感じてきたことやどうやったその意思決定をしてきたかということが聞けるのはやっぱりおもしろいですねー。
Webのオープン性をコミュニケーション側面から
当日話しきれなかったところを少し。
ネットは出始めた頃もいまも変わらずテクノロジー的にはオープンではあるけれど、つい最近まで、利用者は高くて不便なPCとネット回線をつかい、それでもあえて使う人だけが使う、というフィルタリングがかかっていました。ネットがあたりまえといえるようにになったのはごく最近で、スマホが普及してからです。
誤解をおそれずにいえば、あたりまえになって、おばかなひとがネットでもあふれて、オープンで発言することに疲れちゃったり、クローズドのほうがいいってひとが増えてきた。
デメリットばかりではなく、むしろ使ってる人が多いのでメリットが増えています。ただ、オープンコミュニケーションにフォーカスすると、繋がる人とはある程度つながったら、または、いままでの関係の人とのコミュニケーションはクローズドで、ということは自然なのでしょう。
新たなコミュニケーションできる人がほしい時には、オープンに向けばいい。
使い分けができる環境ととらえればポジティブかもしれません。
ネットのフォロワーはクローズドの環境が出来てから利用していることと、そもそもいままでも情報発信や表現に慣れていない人が多いでしょう。
ここは長い時間をかけて「個」としてのリテラシーがあがっていって変わっていくのでしょうね。
きっと、あと1世紀もしていまがどういう時代だったかと振り返られた時には、ネットが出てきて人がそれまでの価値観で、いっぱい失敗して、変わっていく期間だった、といわれるんじゃないかなぁと思います。
ヤスヒサさんから後日コメントをいただきました
久しぶりに WebSigモデレーターの皆さまとお話ができて楽しかったです。自分のことを語るより、もう少し後半にしたインターネットの未来とオープン性について話したかったですが。
会話していたときは少々悲観的な話もありましたが、インターネットにしても、それを取り巻く技術(独自プラットフォーム含)も楽観的というか非常にエキサイティングな時期だと思います。例えば[Project Jacquard](https://www.google.com/atap/project-jacquard/)のように、技術的なことが何も分からなくても『接続可能なデバイス』が作れるようになります。文字通りインターネットが作る人にとっても使う人にとってもより身近になることを意味しています。本当に社会やビジネスに影響を及ぼすようになるのは、これからかもしれません。