[WebSig行ってきた]BASE株式会社&大柴貴紀さんに伺った「インターネット界隈の事を調べるお」が生まれたワケ

WebSig24/7のWebSig社会科見学改め「WebSig行ってきた」ファンの皆様、こんにちは。
モデレータの平間です。
DMM.make AKIBA」さん、「鴎来堂」さんに続いて、第3回の社会見学企画は、ビジネス系人気ブログ「インターネット界隈のことを調べるお」の管理人でもある大柴貴紀さんにスポットを当ててお送りします。

インタビューを実施したのは、大柴さんがよく立ち寄っているBASE株式会社さんのオフィスです。

BASE株式会社
( BASE, Inc. )

BASEさんは、誰でも無料でネットショップの作成、運営ができるWebサービス「BASE(ベイス)」を運営してます。 WebSigモデレーターのえふしんこと、藤川真一が取締役CTOを努める会社でもあります。 入館してみると、オフィスフロアは壁で間仕切りすることもなく、開放感がありカフェのような落ち着いた雰囲気でした。オフィス各所には「BASE」のロゴがあしらわれた小物が飾られてあったり、ロゴカラーで塗り分けられた窓があるなど、BASEさんらしい可愛らしい印象のオフィスでした。

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大柴さんの現在

さっそくモデレーターから大柴さんへのインタビューを開始しました。

大柴さんはEast Venturesのフェローとして、日々East Venturesが投資している投資先企業の支援に携わっているとのこと。現在の職務に就くようになった背景、これまでの経歴を伺うにつれ、大柴さんの代名詞でもある「インターネット界隈の事を調べるお」というブログの世界観とは違うものも見えてきました。

それでは「インターネット界隈の事を調べるお」が生まれるまで、大柴さんがどのように生きてこられたか伺ってみることにしましょう。

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挫折を繰り返した青年時代

大柴さんは、生まれも育ちも東京大田区。ご実家が町工場経営しておられたため、小さい頃から家の手伝いも積極的に行う子供時代だったそうです。そんな大柴さんの大きな人生の転換だったのは、まだ学生時代だったころにお母様が亡くなられたことだったそうです。「周囲には支えてくれる友人がたくさんいたので、そこまで酷く落ち込むことはなかった」そうですが、生活環境からお母様の存在がなくなったことで、生活が一変してしまったそう。その後、高校を卒業し、大学に入り、インカレ(サークル)を率先して運営を始めた矢先、お父様の会社が倒産するなど、頑張りたい時期に、勢いをくじかれることが多かった青年時代だったそうです。

暗黒時代を救ってくれた友達

大柴さんがご自身でも暗黒時代だったというフリーター時代、そこで転機になったのは「時間不定のカラオケ勤務時代の同僚が、昼間に働ける、日勤の仕事を紹介してくれたこと」と大柴さんは力強く答えてくれました。そのアルバイトをきっかけに、当時まだ立ち上がって間もない「有限会社忍者システムズ(現株式会社サムライファクトリー)」に携わることができ、現在の仕事の礎ができたと振り返ります。そして、現在も成長し続けるサムライファクトリーの黎明期、同社の立ち上げ・成長に関わることができたのは、先ほど紹介した、半ば強引に誘ってくれたアルバイト時代の友達や当時の社内のメンバーがいたからだと大柴さんはおっしゃいます。

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受託開発かサービス開発か。

WebSigでもテーマになることが多い「受託開発かサービス開発か」というお題目。サムライファクトリーに入られてもしばらくの間は、自社サービスの傍らで受託開発を行っていたそうで、その観点からこのテーマについてお話いただきました。

サムライファクトリーにジョインしてからしばらくは受託を行っていたものの、2005年ごろから、受託でも2極化が生まれてきました。1つは「安くて単純な制作を行う、数で勝負するもの」、もう1つは「(制作とは言いつつも)クライアントのブランディング含め請け負う、質で勝負するもの」。このとき大柴さんは「どっちが自分たちが近いかというと、自分たちは前者の方に近い」と感じたそう。そう考えると、(自分たちの規模や能力を考えると)ゆくゆくは立ち行かなくなる危険性があり、それであればきっぱりと受託開発をやめて、Webサービス一本に絞ろうと考え、現在のサムライファクトリーが行う各種Webサービスの基本ができました。最後に「受託はあまり向いてなくて(笑)」と、照れながらも答えてくれたのも印象的でした。

当時から自社サービスが好調の気配を見せていたこともあり、そのタイミングでWebサービスに一本化したことがさまざまな忍者ツールズが生まれたきっかけと言っても過言ではないかもしれませんね。

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「しらべるお」は複数立ち上げたサイトの1つにすぎなかった

こうして、ご自身の経歴についてお話いただき、ようやく私たちが気になっていたブログ「インターネット界隈の事を調べるお」の話にたどり着きました(笑)。

インターネット界隈の事を調べるお
http://takanoridayo.blog.shinobi.jp/

「インターネット界隈の事を調べるお」は2012年にスタートし現在も、人気のブログですが、実は"たまたま立ち上げた"複数サイトの1つだったそうです。これは意外な事実でした。さらに驚くのは、複数立ち上げたサイトの数で、「調べるお」を立ち上げた頃は一年で300ものブログや比較サイトを作られたと伺い、一同言葉がでませんでした。(笑)

その目的は「被リンクの生成と、1ヵ月でどの位自分がサイトを立ち上げ、記事をかけるのか調べてみたかったから」だそうで、このあたりは「調べるお」さんらしいと感じました。

現在は、「インターネット界隈の事を調べるお」を含め数サイトを運用しているのみですが、その半数は忍者ブログで作られている等、応援にまわった現在でもサムライファクトリーを大切にされているのだと感じるお話でした。

bese_05.jpg「インターネット界隈の事を調べるお」(http://takanoridayo.blog.shinobi.jp/)なるべく図版を多くし、解りやすい様にまとめている。

大柴さんとのお話は弾み、2時間以上、あっという間に時間が経ってしまいました。この間、終止快くなんでも包み隠さず話していただけたのがとても嬉しかったです。

その中で、最も印象的だったのは〆のお言葉。

「今まで友達に誘われて何かを始めることが多く、良い結果につながることが多かった。たぶん嫌な人だったら誘われないし、善い人だから誘われたんだと思う。利害関係なく、どれだけ自分のために人が集まってくれるか。そこに本当の人としての価値があるのではないかと思っています」

大柴さんの素敵な一面を垣間見れた瞬間でした。

以上、WebSig行ってきた第3弾をお届けしました。

またこれからも魅力的な方のお話、そして、未来につながる場所に訪問していきたいと思います。モデレーターに来てほしい!という方がいらっしゃいましたら、 info@websig247.jp までご連絡ください。

最後に、大柴さん、BASE株式会社の皆さま、遅くまでありがとうございました!

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